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居合道の稽古には日本刀を使うので、先ず日本刀に対する認識が大切である。
日本刀は長い歴史の中で培われてきた伝統美術品であり、日本の精神文化を支える上で重要な役割を果たしてきた。
その日本刀を使う居合の稽古を観ていて、その人の技の中に日常重ねて来た修行の深さと人間的な深みを感じ、
思わずその風格に魅了されることがある。 昔から「行儀は人格を表す」という言葉があるが、人の立居振舞を観
ていて、その気品溢れる姿に思わず美しさを感じさせられる時がある。これは居合の稽古を通じて醸し出される風格と
相通ずるものがあると思う。 居合の修行でも、身を慎み、心を素直にして、寸暇を惜しんで稽古を続けていれば、
自から風格が備わってくるのではないかと思う。
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仏教では「仏道は身を以て修する」とされ、坐禅は「只管打坐」と云い、ひたすら坐ることこそが修行だと聞く。
居合もこれと同様「只管打抜」。ひたすら抜くことが修行であると心掛けねばならない。
そして常に「文」を広く学ぶ姿勢を持つことが大切である。そうすれば人間的にも磨かれてきて風格が備わり、
居合も整ってくる。 だから居合を学ぶことは自分を磨くことに通ずるのである。
聞くところによると、あの福沢諭吉翁は明治になって廃刀令が出てからも、日に千本、午前に六百四十本、
午後三百六十本の稽古をされたと云う。何を目的とされて抜き続けたのか定かではないが、
後世伝え聞く姿とは違う翁の風格の一端を感じさせられる話である。 私は居合道を学び三十五年になるが、まだ道半ばだ。
風格のある居合を目指し、ひたすら抜き続けて自分を磨き、生涯を充実して生きたいと思っている。
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日本刀を用いて行う居合道は、所謂スポーツとは異なります。 勝敗だけを競うものではなく、
長い時間を掛け凝縮されてきた先達の技、それを支えてきた日本の精神文化を学ぶ「武道」なのです。
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本格的に居合を学ばれる方には、日本刀を持たれることをお勧めしています。
刀を佩び道場に静かに座ると、DNAの奥に秘められていた日本人の精神性というか、
武を尊ぶ心が不思議に甦ってくるものです。
尚武の心とともに、森羅万象の世界が観えてきます。
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